ひたすら「本を読め」という遅れた大人たちへ

投稿日: カテゴリー: lifehack, web

「本を読め」という文言は高校の教師にしろ、大学の教授にしろほとんどの大人が言うことである。しかしながらこの情報に溢れ、それをいかに精査し、フィルタリングするかが重要になったこの社会で「本」といったメディアがどういった役割を持つか今一度考えてみたい。


「本」という媒体のメリット

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本という情報形式は周知の通り相当の歴史ををもつ由緒正しきフォーマットである。

あれだけコンパクトなものに相当な知識を蓄え伝えることを可能にした功績は「人類を支えた発明」と言っても過言ではない。

しかしながら現在の情報というものはもはや実体を伴わない。

持ち運ぶ必要もなければ、オンラインで取り出したい時にいつでもどこでも取り出せる状況にある。

そんな状況の中で本という媒体のメリットとはなんだろうか。

・体に馴染んでいる。

・現状最も供給者が多い。

「脳に良い成分が出る」だとか「集中力がつく」といったよくわからないものを除いて、物理的に根拠のあるものといえば特にこの2つであろうか。

ただしこの2つはどちらも「現状のメリット」である。将来的に考えると「本」というメディアの意義は自分には見いだせなかった。


大人たちの知らない新たなメディア

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「本を読め」という大人達の多くは「Twitter」や「Facebook」、もしくは「はてなブックマーク」や「RSS」といった

ネットの情報源についての知識が浅いことについて言及したい。

彼らのほとんどは情報媒体の主たるものが「本」や「新聞」である時代を過ごしてきたのだ。

彼らにとってSNSやネットの記事というものは浅くバカバカしいものに見えるのかもしれない。

 




 


「検索性」と「スピード感」

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「本」というメディアにはこの2つが決定的に欠けている。

現代のネット上の情報と本との大きな違いはこの部分だと思う。本というのは良くも悪くもあの一冊を丸々読み切ることを前提として書かれている。

そしてこの中の知識は基本的に記憶して持ち出すためのものである。コンピューター上の記録と違い検索して引き出すことは出来ない。

この丸々一冊を頭のなかに入れなければならないという特性が現代のスピード感にそぐわないのである。

今の時代わざわざ記憶しなくても自分が知りたい部分の細切れの知識をGoogle検索などによりいつでもどこでも引き出せる。

こういった点から自分は本というメディアを盲目に肯定することはできない。

 


次の世代のメディア

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知識の記憶は電子的なメディアに移行している。

それは保存という観点からもそうだが「検索性」という利点はかなり大きい。

今後ものすごいスピードで情報は共有され、膨大な量の知識をさばいていかなければならない。

そんな時「検索性」というのがとても重要になってくるだろう。本にはそれがない点が決定的な弱点である。

しかしながら本も今では電子書籍などが普及し始め、徐々にではあるが検索性を獲得し始めている。

しかし今のような1冊丸々記憶する前提のフォーマットはやがて廃れていくだろう。

今後はSNSやネット記事のようなファクターごと細切れの知識が検索され、どこでも手軽に取り出せるような形式が適しているのではないだろうか。

仮にも通信の速度は750倍、演算速度は500倍にもなっている。今後こういった知識の流通がどうなっていくか注意深くみていきたい。


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